2月23日、何の日でしょう?
世界各国には、それぞれ国家の記念日がある。たいていは、独立記念日であったり、建国の日であったりとか、国によって様々である。
私は以前、バルト三国の一番南の国、リトアニア共和国の在京大使館に、特命全権大使の顧問として勤めていた。因みに、「在京大使館」とは、日本にある外国の大使館の事を指す。逆に、外国にある日本の大使館、領事館などは「在外公館」と呼んでいる。
リトアニア共和国のナショナル・デーは、2月16日の独立記念日である。皆さんの中にも、ベルリンの壁が崩壊し、人間の鎖を結んだバルト3国。この人間を盾に対抗した東欧の人々の喜びを目にした方も多いことだろう。リトアニアの人々にとっては決して忘れることのできない日である。
リトアニアはもともと、大公国として、ヨーロッパの中でも広大な領地を誇っていた。十字軍の一部が北に分かれたものを「北方十字軍」と呼ぶが、ドイツ騎士団の襲来を受け、ヨーロッパではカトリック改宗に最後まで抵抗した。しかしその後の歴史の中でも、何度も侵略に会い広大な領土を失ってしまった。1940年6月、第2次世界大戦の戦後処置により、リトアニアはソ連から侵攻され独立を失った。ソ連の侵攻は、独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づくものであった。因みに、在リトアニア・カウナス日本総領事館の杉原千畝領事が本国外務省の了解なく、ビザを発給。約6,000人のユダヤ人の命を救った物語は有名で、高校の英語の教科書にも広く取り上げられている。こうした経緯をたどりながら、「リトアニア・ソビエト社会主義共和国」としてソ連に編入され、暗黒の時代を迎える。当然、日本との国交を持たず、日本の世界地図から消え去ってしまった。この日は、リトアニア共和国がソビエト連盟から独立を勝ち取った日である。
リトアニアの首都ヴィリニュスは世界遺産にも登録されている。いずれ別稿にて、リトアニアの魅力をご紹介したいと思っている。リトアニアは芸術にも優れた国で、リトアニア交響楽団が来日し、新宿のオペラシティーで公演を行ったことがある。私が当時、皇太子殿下でいらした今上陛下に行啓をお願いしたところ、快くご快諾いただき、行啓を賜った。
在京大使館ではこの日を記念し、ナショナルデーのレセプションを本邦内で行い、多くの政財界の方々や駐日の外交官の方々、約300名をご招待していた。
これと同じように、今年は日本国の在外公館においても、2月23日には世界各国でレセプションを開催したはずである。
このブログをお読みになっている方の多くは、我が国のナショナル・デーは「建国記念日」だと思われるだろう。国家成立に詳しい方は「憲法記念日」だとお答えになるかもしれない。だが日本国のナショナル・デーは「天皇誕生日」(旧帝国憲法下では天長節)である。本年令和2年のナショナル・デーは、初めて2月23日に変更された。すなわち、日本のナショナル・デーも変更されたのである。